スバルショップ三河安城の最新情報。家にいよう。特別企画 クラブ・スバリズム歴史発掘!技術的偉業10選 第8弾「東海道新幹線」| 2020年4月24日更新

 
クラブ・スバリズム 技術的偉業10選 東海道新幹線
「家にいよう。」特別企画
 
    2020年4月24日 第8弾「東海道新幹線」
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文責:スバルショップ三河安城 和泉店

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担当:余語

 

エンジニアなら知っておきたい。技術的偉業10選。

温故知新。古きを知り、新しきを知る。古きものには、様々な知見が内包されています。数多の失敗を重ね、多大な犠牲を払い、偉大な挑戦があって、モノは誕生します。しかし、その中には現代では全く見落とされてしまっているものも少なくありません。だからこそ、新しきを造る人々は、古きものを良く知る必要があるのです。

もちろん、高度に電子化されつつある現代技術と、20世紀の技術には大きな隔たりが存在します。自動車一つとって見ても、中身は全く似て非なるものへと進化を遂げています。

一方で、その本質は何も変わっていません。その本質を突き詰めて見ていく限りに於いては、技術に古いも新しいも無いのです。

ここに列挙したのは、小生が独断で選んだ、特筆すべき技術的偉業の数々です。もし、興味があれば、書籍をご購入の上で詳しく理解されることをお勧めします。

 

広軌新線建設は、明治以来の悲願だった。

C編成

窓下に「H1」の編成番号が記された、0系新幹線電車C編成。先行建設されたモデル線で走行試験を重ねた、新幹線史上最も貴重な車両である。

今や、国家に欠くべからざる存在である東海道新幹線は、斜陽産業と化していた鉄道に、高速鉄道という新たな可能性を与え、世界に多大な影響を与えました。今や、世界各地を高速鉄道が駆け巡り、老若男女に安全で快適な移動の自由を提供しています。

しかし、東海道新幹線の事の始まりが、明治時代まで遡ることをご存知の方は少ないでしょう。

あれ?弾丸列車計画が始まりでは?とお考えの方もおられるかも知れません。しかし、これは第二次大戦下に計画が進められた、東海道・山陽新幹線の原型となる構想です。しかし、その源流を辿れば、もっともっと歴史を遡ることができるのです。じつは、その構想は、鉄道開業間もない頃から、ずっと存在していたのです。

新幹線の父、島秀雄。彼は、国鉄技師長として新幹線計画の技術分野の全権を担いました。ところが、新幹線計画は島の父、島安次郎の悲願だったのです。

 

狭軌という、日本鉄道最大の足枷を外せ。

標準軌と狭軌

日本の鉄道最大の足枷が、軌間である。これを克服すべく、フリーゲージトレインが開発されたものの、計画は失敗に終わった。

フランスの「新幹線」TGVは、在来線に乗り入れて各地に直接乗り入れて便を図っています。一方、日本の新幹線は全国津々浦々を、自由に走ることはできません。それは、在来線と線路の幅(軌間)が異なるためです。

新幹線は1,435mm。標準軌と呼ばれる世界で最も一般的な軌間です。一方、在来線は狭軌と呼ばれる1,067mm。軌間が狭いと、走行安定性の限界から車両のサイズが自ずと制限されるため、トンネル断面は小さく、橋梁の耐荷重は小さくて済むため、建設費を安く抑えることができます。しかし、輸送力は制限されますし、車両高速化にも限界があります。日本の鉄道最大の足枷、それがこの狭軌なのです。

世紀の大失敗の始まりは、日本が初めて鉄道を敷設する際のこと。英国人技師が狭軌を推奨したのを、大隈重信が良く確認もせずに鵜呑みにしたのです。こうして、明治5年、日本初の鉄道は狭軌で開業。以後、鉄道は狭軌で建設され、全国に路線網を拡張していきます。

 

原敬にトドメを刺された、改主建従論。

横浜線広軌改築試験

大正6年、横浜線原町田橋本間で行われた標準軌化試験。広軌改築に関する写真は数少ない。リニア鉄道館にて

軌間という足枷を外そうとする試みは、繰り返し行われます。明治41年、鉄道作業局工作課長島安次郎は、鉄道院初代総裁後藤新平に上申。二人は標準軌ですべての官営鉄道を作り直すべきとの、広軌改築(改主建従)を訴えます。

広軌改築を訴えたのは、鉄道院だけではありません。帝国陸軍もまた、改軌の必要性を認めていました。物資輸送に鉄道輸送を利用していた陸軍とすれば、諸外国と軌間が異なるのは甚だ不都合でした。もし、標準軌に改軌されれば、軸重及び車両寸法が大幅に緩和されるため、装備の大型化・重量化が可能になるのです。陸軍の推奨を受け、事態は一気に改軌に進むかと思いきや、ここに天敵が現れます。

大正7年、平民宰相の名高い原敬内閣が成立。すると、原は鉄道院から改主建従論者を一掃。原の支持基盤は、地方の有力者たち。彼らは地元への手土産として「おらが村へ鉄道」を優先したのです。当時は、鉄道黎明期。将来を見据えた改軌よりも、全国鉄道網敷設を最優先とすべしとの、建主改従論に押し切られてしまったのです。

 

逼迫する東海道本線の輸送需要と広軌別線建設。

島安次郎、十河信二、島秀雄

新幹線実現へ尽力した、3人の英傑の肖像。島安次郎は、島秀雄の父であるとともに、十河信二の師であった。

広軌改築の夢を絶たれた安次郎は鉄道院を辞すと、満州へ渡ります。安次郎は、満鉄で自身の理想とする広軌鉄道の建設に励むことになるのです。改主建従論者者の一掃により、広軌改築計画は沙汰止みとなります。ところが、この選択こそが新幹線誕生のキッカケとなるのです。

時代は下って、昭和13年。大戦前の意気軒昂なご時世柄か、鉄道大臣中島知久平が日本と大陸を結ぶ壮大な構想をぶち上げます。昭和14年には、鉄道幹線調査委員会を組織。メンバーには、島安次郎ら広軌改築派が数多く人選されていました。

同委員会は計12回開かれ、東京下関間に線路増設の要ありとの結論に達し、「広軌新幹線旅客輸送関係説明書」が作成されます。当時、日本の大幹線たる東海道本線は、既に輸送力は限界に達していました。これを解決するには、広軌別線を新たに敷設。ここに高速旅客列車を走らせ、余裕の生まれた東海道本線の貨物列車輸送力を増強する他なし、との結論に達したのです。

 

弾丸列車と呼ばれた戦前の新幹線計画。

弾丸列車計画
弾丸列車牽引機関車

この時点で、既に「新幹線」という名称は確定していました。弾丸列車というのは、俗称に過ぎないのです。

同委員会の結論は、軌間1,435mmの高速新線を複線で新たに敷設し、東京大阪間4時間半、東京下関間9時間で結び、大陸へ向けて車両航送を行うというものでした。牽引するのは、最高速度210km/hの電気機関車と同150km/hの蒸気機関車でした。

昭和15年10月、東京下関間のルート詳細が決定。風雲急を告げる世情の下、早くも用地買収が始まります。。構想からたった2年、昭和16年8月には日本坂トンネルに着工し、工事はいよいよ本格化します。昭和17年には新丹那トンネル着手します。

しかし、戦局は悪化の一途を辿ります。大量の鉄鋼とセメントを要する新幹線建設は、当時の日本に最も不足していたものでした。激化する戦況の中、それでも工事は進められますが、いよいよ中断を余儀なくされます。

[上]新幹線計画の概要を伝える、戦前の新聞記事。東京から下関に至る計画線図が見える。
[下]牽引機関車の計画図。蒸気機関車は停電時の運行を危惧した軍部の要求で計画された。
2枚ともにリニア鉄道館にて

 

日本中で電車が走っているのは、島秀雄の功績。

63系電車

戦時の物資不足の中、人員輸送を目的に開発された通勤型電車63系。あらゆる箇所を簡略化せざるを得なかった。

安次郎の息子秀雄が、鉄道界にもたらした最大の知見。それは、動力分散方式です。動力集中方式とは、客車はすべて付随車とする機関車牽引列車です。一方、動力分散方式は、客車に動力を分散搭載し、編成を組成する列車です。電車やディーゼルカーはこちらに分類されます。

昭和20年代、電車はゲタ電とあだ名され、乗っても数十分が精々。振動は酷く、騒音も凄まじく、とても長時間乗れる代物では無かったのです。そのため、長距離列車は機関車牽引の客車列車に限られていました。

しかし、秀雄は列車の高頻度・高速運転を実現するには、動力分散方式が適当だと考えていました。昭和25年、秀雄の主導で湘南電車80系が誕生。当初トラブルが多発するも、後には長距離列車にも投入され、乗客に好評を博します。この長距離電車の実現が、後の新幹線開発に大きな影響を与えます。

ところが、昭和27年8月。技師長だった秀雄は、自身が設計した63型が起こした桜木町事故の責任を取り、志半ばで国鉄を辞してしまいます。

 

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