2017年4月1日、ついにスバルへ社名変更を決断。 [2016年05月13日更新]
ニュース ピックアップ [ 歴史 ]
スバルのヒストリー 第4部〜インプレッサの誕生。...
2018年03月01日 クラブ・スバリズム
2017年4月1日、ついにスバルへ社名変更を決断...
2016年05月13日 スバル
スバルの水平対向エンジンが生産累計1,500万台...
2015年02月19日 スバル
2017年4月1日、ついにスバルへ社名変更を決断。
富士重工が、社名変更を実施します。これは、5月12日の臨時取締役会で決定したもので、所定通り手続きが進めば、2017年4月1日に株式会社SUBARUへと生まれ変わることになります。
ここでは、株式会社SUBARUへ至る軌跡を見てみましょう。
富士重工業の略歴。
技術士官だった中島知久平が海軍を退官して1917年に設立した「飛行機研究所」は、程なく自らの名を冠した「中島飛行機」へと名称が変わります。それから、20年弱の間に東洋最大の航空機メーカーへと大発展を遂げていきます。そして、終戦。中島飛行機は、平和産業への転換を期して「富士産業」へと名称を変更します。しかし、1946年9月6日に財閥解体の指定を受け、解散。各地の製作所をもとに12社へ分割されます。分割各社は食器から乳母車に至るまで、厳しい環境下で生き残りを図ります。
一筋の光明が射したのは、ラビットというスクーターでした。富士産業が販売したこのスクーターは大ヒット。このスクーターの成功が、後の360の誕生へと繋がっていきます。
1950年代に入り東西冷戦が始まると、GHQは態度を軟化。一切禁じていた航空機開発および生産を許可します。発足間もない航空自衛隊向け初等練習機の受注を目指して、三菱、川崎そして旧中島は再合同へと動き始めます。1953年には、航空機生産を事業目的とした新会社「富士重工業株式会社」を設立。
そして、1955年4月1日、12社のうち5社が合併契約書に調印。正式に富士重工業がスタートを切ります。現在でも、航空産業においては「Fuji Heavy Industry」の頭文字をとった「FHI」の名称で知られています。なお、三菱重工はMHI、川崎重工はKHIの略称で呼ばれています。
当初は、モデル名だった「すばる」。
「スバル」はヒストリーのページをご覧になれば分かる通り、富士重工が初めて開発した「P-1」という1500ccの乗用セダンに初代社長北謙治が命名したものです。つまりこの時点では、スバルは単なる「モデル名(当初はひらがな表記。)」に過ぎませんでした。その由来ですが、北謙治が旧5社を新生1社が「統べる」という願いを込めて、「すばる」と名付けたと言われています。
P-1計画が中止を余儀なくされた後に続いて計画されたのが、開発コード「K-10」と呼ばれる軽乗用車でした。とてつもない苦労の連続となったこの計画は、後に大ヒットとなるスバル「360」となります。スバルがブランド名称の意味を持ったのは「360」が発表された、1958年3月3日ということになります。さて、そのスバル「360」のモデル名決定の経緯ですが、今でも判然としていません。スバル「360」のデザインを任された佐々木達三は、すべてのデザインを終えた後に「SUBARU 360」のエンブレムをデザインしています。しかし、佐々木自身にはモデル名を具申した記憶がありません。どうやら、このエンブレムを見た百瀬晋六が佐々木の意向を汲んで、最高責任者の松林専務の了承を得て決定をみた、というのが通説になっています。
というのも、百瀬が主導したK-10計画は前例の無い苦難の連続で、モデル名なんて「悠長なこと」に気を取られる間など誰にも無かったのです。技術開発に没頭する余り、ブランド名の経緯さえおぼろげという辺り、スバルらしいと言えるかも知れません。
突然の発表。しかし、予兆はあった。
中期経営計画「際立とう2020」にも盛り込まれていなかった社名変更という一大決心は、まったく青天の霹靂でした。しかし、その予兆はありました。
2015年1月に発表された、航空機向けコンポーネントを生産する半田工場の新建屋の完成予想図。ここに掲げられていたのは、「FHI」ではなく「SUBARU」のロゴでした。当時、不思議には思ってはいたのですが、社名変更にまで至るとは考えていませんでした。今思えば、この完成予想図がそれを暗示していたのかも知れません。
本業の転換。しかし、DNAは受け継がれていく。
後進の自動車産業のブランド名称へ社名変更を行うということは、主たる生業として自動車産業に取り組むという意志の表れであると考えられます。今回の決算発表の中で、吉永社長は繰り返し「スバルは台数ではなく質と個性を追い求める。」と述べています。スバルブランドを磨く、そのための選択と集中。それ故の、社名変更なのでしょう。
また、産業機器カンパニーは人財リソースの有効活用のため、順次自動車部門に吸収される予定です。富士ロビンの名称で知られた汎用エンジンは、戦後一貫して製造を続けてきたもっとも歴史の長い商品ですが、近い将来その歴史に終止符を打つことになるでしょう。
2016年11月には、新型プラットフォームを採用する「インプレッサ」が発表されます。心機一転新たなスタートを切るスバルが、私たちをワクワクさせるようなクルマを送り出してくれることを願うばかりです。